不思議な印紙税

ある日、外出先でふと思った。

なんで印紙税って存在しているんだろう?

たしか課税文書ってものに課税するものだったはず、とうろ覚えの記憶を引っ張り出すも、自力では結論が出ず。

しかたないので帰宅後に、まずはwikipediaに頼って、その後に人力検索をいくつか拝見したのですが、まとめると、

 

1.印紙税は1624年にオランダで八十年戦争の戦費調達のために発明されたもの、つまり元々が「金を取るため」の税であること。

2.そんな来歴なので「印紙税論」のようなものはないらしく、理屈をしいて言えば、課税文書を作成する背景にあるはずの契約や金銭授受という経済取引、これに担税力を見いだしている、らしい。

(担税力をそこに見いだしていると言うわりに、「紙」に課税するわけなんですが)

 

うーん、これは無くてもいい税だな。印紙税論というキーワードで検索すると「不要論」という記事がたくさんヒットします。

そう思ってる人、結構いらっしゃるんですね。

 

そもそも、理屈が苦しいですよね。課税文書作成の背景にある経済取引の担税力につけこむなら、その取引自体に直接課税したほうが間違いがない。消費税とか譲渡所得税とかそういうのでカバーできているはず。何重に取るつもりだ。

あれかな、取引を隠蔽して、でも契約書はつくってしまった、そんな場合に契約書を発見すればたとえば所得税と印紙税の両方で回収する余地があるとか、そういう効能はあるのかもしれない。

でも取引を隠蔽するような人たちは契約書なんてそもそも作成しないような気もする。契約は口頭でも成立するわけだし。

印紙税の存在意義がなんとなくあやふやに感じます。こういう例を見ると「税金に理論ってあるのかな」とか思ってしまいかねない。一応、租税論ってのがあることは理解しているのですが。

 

あれかな、一時期の携帯音楽ダウンロードのサブスクリプション契約、月額300円でDLし放題!ってうたっておいて、そのまま忘れちゃうユーザから毎月チャリンチャリン、に似た感じで、印紙税もあまり大騒ぎされないから今日まで残っているのかな。

あと、課税文書を作成すると事実関係の明確化とか法律関係の安定化とかそういうメリットにも課税している、ということもあるらしいけど、これはどうなんだろ。

法律に反するような個別の契約は無効を主張できる余地もあろうけど、それは国が法律を整備してくれているからというよりは、おそらくその取引自体が不公平で妥当でなかったとか、そういうことなんじゃなかろうか。

よっぽどのものを除けば、通常、「常識」で判断できるはずだし。

それでも法律をメンテナンスするのはもちろん必要なので、この費用はかかると思うけど、これは毎年の税収の中で行うべきだろうと思う。個別の課税文書にそれを求めるのはやっぱお門違いのような気がする。

 

印紙税の税収は、平成16年で1兆1千万円程度。

相続税もそうだけど、税収全体に与えるインパクトはそんなにないように思える。

(というか印紙税と相続税が同程度の水準というのもちょっと驚き)

正直、やめちゃえばいいのにと思う。

印紙税はオランダデンマークフランスイギリスアメリカにはあるらしいけど、世界全体ではどうなんだろう? ある国とない国で比率とかどんなもんなのかな。

 

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で、印紙税の根拠が「課税文書」というよくわからないものなのであれば、国は何にでも課税できるよな、というくだらないことを思いついたのが本記事のきっかけで、前段はどうでもいいのです。

ニートを養っている親に担税力を見出して、「ニート税」(毎年1月1日現在の体重を計測してその重さに比例して税額を決定する)とかつくったら、親も色々と本気になって、ニートが減るんじゃないだろうか、とかくだらないことを考えてました。

冗談として。ですよ。

あと、ほかにも「余っている感のあるもの」に担税力をこじつけて税金かけちゃうとか。

大所帯の音楽グループ(7名以上)のメンバー余剰感に担税力を見出しちゃうとか。

くだらないですね。失礼しました。